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2013.10.31.(木)
井上晋の「マッチョな政治といつか来た道」
第7回 映画『清須会議』から歴史をひも解いて…(2013年10月31日)

ほぼ月イチコラム 今日で10月も終わりです。
映画『清須会議』から歴史をひも解いて…
BURNING MIND主席講師・井上晋の『マッチョな政治といつか来た道』 第7回

本屋でふと目に止まって手にした、

三谷幸喜の「清須会議」が最高に面白くて、

ついつい、本棚の奥から、10年以上前に読んだ、

司馬遼太郎の「新史太閤記」を読み直しております。

島耕作も驚く出世ストーリーは、

それ自体が、最高のエンターテインメントです。

さて、主人公の豊臣秀吉が成し遂げた多くの奇跡的な偉業の一つに、
「中国大返し」というのがあります。

本能寺の変を知った秀吉が、
目前に迫る毛利軍を高松城に釘付けにしながら、
京都まで神がかり的なスピードで引き返し、
明智を討った、というものです。

(詳しくはコメント欄参照↓↓)
 

このとき毛利軍は敵の秀吉を
追撃できなかったのではなく、
追撃しなかったとのこと。

なぜ、追撃しなかったのか。。。

司馬遼太郎によれば、

それは、旧主信長と秀吉との、統治哲学の違いによるもの

としています。

刃を交えながらも、敵将の秀吉に対して、

毛利家の大将小早川隆景は、

統治者としての秀吉に強い信頼を持っていた、

ということを司馬先生は言っています。

そして、追撃をしてこないことを知った秀吉は、

そのことで、隆景の真意をくみ取ったと言っています。

さてさて、戦国の世の、卓越した武将同士のコミュニケーションを

現在の教訓とすることは、とても難しいことなのですが、

現在にくらべて、圧倒的に情報量が少なかった当時、

命を懸けた決断をする彼らは、

人物を見る目が、現代人よりも圧倒的に

長けていたのではないかと思うのです。

電話やメールで頻繁にやり取りができるわけでもなし、

相手のブログやFacebookをみれるわけでもなし、、

テレビからバンバンとニュースが流れてくるわけでもなし、

たとえ言葉を交わせたとしても、

陰謀、権謀が渦巻く時代において、

言葉はすべてではない。

結果、自らを守るためには、

「何を言ったか」ではなく、

「誰が行ったのか」

「どのような環境下で言ったのか」

を鋭くとらえて、

その人物の腹の座り度合や

利になびくのか、義になびくのかなど

人物そのものを、

見定めていたのでしょう。

「使えるディベートセミナー」でいうところの、

エートスです。

振り返るに、現代の我々は、

いかに、「何を言ったか」に振り回されていることかと

少し恥ずかしくなりました。

恣意的に切り取られた言葉の断片で

右往左往している我々は、

戦国の武将から見れば、

滑稽な群衆かもしれません。

「誰が言っているか」ではなく、

「何を言っているか」

で物事を判断するのは、大人のコミュニケーションの

第一歩であることは間違いないでしょう。

その上で、もう一度、

正しく人物を見極める目でもって

「誰が言っているか」を

見極めるコミュニケーションが、

成熟していくということなのでしょう。

以上

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