2013.8.7.(水)
井上晋の「マッチョな政治といつか来た道」
第3回
ネオ・ディベート一直線(2013年8月7日)
ほぼ月イチコラム ネオ・ディベート一直線
主席講師・井上晋の『マッチョな政治といつか来た道』第3回
参議院選挙が終わった。
今回は、ネットがはじめて解禁された選挙。
そもそもなんで選挙にネットを利用することになったのかというと、
・お金がかからない選挙が可能になる
・多くの有権者に、政治家の意見を知ってもらうことができる
・若者の政治離れを是正できる
といったところだろうか。
少し調べてみたが、「是非やろう」というよりは、
「勝手にやると問題が大きくなるから、規制をしていたが、すこしづつ緩和しよう」
という動きのようだ。
さて、経緯はそれとして、
結果、インターネット選挙は、
日本民主主義の成長に貢献したのだろうか、
また、今後していくのだろうか?
今回のネット選挙で活躍したのが、
ツイッターやフェイスブックというSNS。
これらのツールは、
「多様な情報を積極的に集めている、また発信している」ものと
思われがちであるが、
実は
「一面的な情報を受動的に見せられている」という
ことはないだろうか。
一部の友人は、山本太郎さんは確実に落選すると
思っていたらしい。
なぜなら、彼のタイムラインには、
山本太郎さんに対するネガティブな情報が
あふれていたからだ。
SNSは、特定のコミュニティーの中で、
情報共有を進めるためには
優れたツールであると思われるが、
広く情報を公平に集めることには向かないのではないか。
さすがに、すべての候補者のツイッターをフォローした
有権者はまれであろう。
ましてや、いつもフォローをしている人々は、
何かしらの共感、シンパシーを持った人、
つまり、近しい価値観を共有した人々だろう。
少し手厳しい言い方をすれば、
「自分の耳に心地よい情報だけを集め、
それが、大勢の意見だと勘違いし、
選択肢のない決断をしてしまう」
危険がはらんでいるのでないだろうか。
集団の極性化が進むのではないだろうか。
あらゆる選択肢の中から、ベストな選択をするのが、
民主主義の原則であるならば、
その原則から外れてしまう。
ただでさえ、周りに流されやすい日本人が、
自らの情報の選択肢を狭めてしまうことになれば、
いよいよ危険なことである。
ネット=オープン=民主的
と単純にいかないことも
我々は理解しておかないといけない。