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2013.7.8.(月)
井上晋の「マッチョな政治といつか来た道」
第2回 BURNING MINDイズム驀進中(2013年7月8日)

第2回 BURNING MINDイズム驀進中(2013年7月8日)



ほぼ月イチコラム BURNING MINDイズム驀進中
主席講師・井上晋の『マッチョな政治といつか来た道』 第2回

前回は、橋下市長の発言から、

・わかりやすさは、複雑さに宿る意味を奪ってしまう。

という命題を提示しました。

これは、図解すると、

 論理的(直線的な思考)
     ↓
   わかり易さ
     ↓
  複雑な思考の停止
     ↓
   全体感の喪失

ということになります。

心の声にすると、

「あの人の言っていることは、正しいんだろうけど、

 なんだか、腑に落ちない」

「あの人の言っているとおりにすれば、
 
 良くなりそうなのだけど、

 なんだが、モヤモヤした不安が残る」

という感覚です。

多くの人が、橋下市長に感じている、

漠然とした感覚ではないでしょうか?

ロジカルに思考すれば、その分だけ

なんだか、モヤモヤした不信感を与えてしまう。。。

この矛盾は、どのように解決すればよいのでしょうか。

この矛盾の一つの答えとして、

哲学者のヴィトゲンシュタインは、このように言っています。

「我々は、言葉にて語りつくしたときに、

 言葉にて語りえないことを知ることがあるだろう」

私なりに解釈すると、

「徹底的に論理的に考え抜き、その作業に徹すれば、

 新たな直感や洞察が生まれる」

といったところでしょうか。

私はディベートの試合が近づくと、
毎回、次のような経験をしていました。

1つのテーマに対して、何十冊もの本を読み、
ネットで情報をあさる。

肯定側の論を苦心して構築し、
その直後にその論を、自分で否定する。

さらに否定側の論を四苦八苦しながら構築し、
またもや自分でそれを必死に否定する。

このいつ終わるともつかない作業を繰り返し、
試合の日が迫り、あせり、もがき、、、を繰り返していく中で、

ふっとそのテーマに潜む問題の本質、
大きな価値観の違いがクラッシュするポイントが

本当に、降っておりてきたように、

頭の上に現れるのです。

「あぁ、結局この論題は、自由と規制、自己責任と保護の
 問題だったんだ」

 などなど、、

皆さんの日常にもこのような経験はありませんか?

つまり、中途半端な論理思考では駄目で、

徹することによって、

その主張は、安心感をも含む

多くの方の賛同を得られる主張に昇華するという瞬間です。

物事の本質をとらえる、
言い換えるなら、危うさをともなわない主義主張とは、
深い洞察力や直観力によって裏付けられたものであるということ。

そして、洞察力や直観力は、じつは、論理的思考に徹した末に生まれるもの。

このことを成し得たときに、

私たちのコミュニケーションのレベルは、

一段も二段も向上します。

話を橋下市長に戻します。

彼は現在、この論理的な思考の最中なのだと思います。

彼の自由な発想と既成概念にとらわれない思考で、

肯定に否定に行ったり来たりしているときなのだと思います。

(上からの目線で言っているのではなく、

 私を含めた一般の人は、大きく振れることも、

 またゆり戻すこともできず、

 既成概念のなかに閉じこもるのです。
 
 つまり、敬意をもって書いています)

そして、いつか、この状態を突き抜けて、

新たな価値を提示してくれるものだと思っています。

そして、そのような政治家を選び育てるためにも、

我々が、肯定に否定に行ったり来たりしながら、

徹する作業をしていかないといけないのだと思います。

そうしないと、世の中が簡単に右に行ったり、

左に戻ったり、

まさに、「いつか来た道」を繰り返すことになります。

思考は思い切り左右に振りながら、

しっかりと、一本の道を歩めるようにする。

これが、ディベート思考の意義だと感じています。

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