2016.5.15(日)
アビコ青年のディベート事件簿
File45「正論が人の心に届かない理由」(2016年5月15日)
本日のテーマは「正論が人の心に届かない理由」です。
■ホリエモン発言に感じる違和感
ホリエモンこと堀江貴文氏の発言に、批判の声が上がりました。
熊本地震によるテレビ放送の自粛に関して
「バラエティ番組の放送延期は、全く関係無い馬鹿げた行為」と発言。
これに対し、ダウンタウンの松本人志氏は自身の番組で、
「この人の言葉にはいつも心がないんでね。それでいつもちょっと釈然としない」
とコメント。同番組のパネラー・武田鉄矢氏も、
「数式として正しいんだけど、計算式を見せられている気持ちになる。
発言自体が身も蓋もない言い方をする。人間には気持ちというものがある」
と、松本氏の意見に賛同しました。
私も松本・武田両氏に同意します。
確かに堀江氏の発言は理屈としては正しい。
ですが、どうにもそこに「温もり」が感じられないのです。
今から5年前、私自身も東日本大震災で被災し、
3日間、電気・ガス・水道が止まった経験、その後の生活を思い返すと、
やはりバラエティ番組を観る気分ではなかったのを思い出します。
■「何を言うか」を越えるもの、「誰が言うか」
なぜ堀江氏は正論を言っているのに、批判が出るのでしょうか?
その原因の一つは、「発言する人物の問題」ではないかと思います。
堀江氏は過去にも似たような発言をしています。
例えば、昨年は「寿司職人が何年もかけて修行するのは馬鹿」とコメントしています。
もちろん、発言の趣旨は「時間をもっと大切にすべき」「集中力とセンスも大切」
というものでした。
ですが、やはりこの発言にも否定的な意見が多数寄せられました。
この時も、松本氏はコメントしています。
「間違ってないんですけど、モヤモヤっと何でするんやろうと思うと、
たぶんこの人が寿司の皿を一枚も洗ったことがないからだと思うんです」
「寿司職人の名人と言われる人が全く同じセリフを言ったら誰も何も文句もない。
気持ち良く聞けるんですけど」
「たぶん言う人が違うんやろうなと。セリフは間違ってない」
つまり「誰が言うか」、コミュニケーションの3要素で言えば、
エートスが明らかに不足している人の発言は、
理屈(ロゴス)は通っていても、世間は素直に言葉を受け取れないのです。
もしも被災地・熊本にいる多くの被災者たちが、
「バラエティ番組、自粛しないで下さい!」と声を上げるなら、
きっと批判の声も出ないはずです。
■コミュニケーションで目指すものとは?
堀江氏は自身の発言「バラエティ番組の自粛は馬鹿げている」への批判に対して、
次のように反論しています。
「当たり障りのない言い方で伝わればいいんだけどね。それだと伝わんないんだよね」
「多くの人が思ってても言えないことを端的に言ってるだけなんだけどな」
果たして、本当にそうでしょうか?
そもそもコミュニケーションの目的を考えると、
それは「自分の言いたいことを相手にぶつけること」ではないはずです。
お互いに気持ちを伝え合って、相互に理解し合うこと。
自分の思いを正しく伝えて、相手にも納得してもらうこと。
最終的にはお互いの意図を汲んで、
それぞれが実際に行動することであるはずです。
(例えば、営業マンと顧客の関係であれば、お互いが納得し合い、
顧客は製品を購入する。営業マンは最善の価格提示とアフターフォローをする等。
一方的な関係であれば、押し売りになったり、門前払いしたり、となります。)
確かに、堀江氏の発言は「多くの人が思っていても言えないこと」を率直に発言しています。
ですが、自身が「伝わる話し方」と信じるその発言の数々は、
実際には人の心に「伝わっていない」事実。
だからこそ、批判の声が上がっています。
堀江氏のコメントに感じる違和感。
その背景には、やはり理屈だけでは人は納得しない現実があります。
氏の合理的な発想力(ロゴス)は、誰もが認める素晴らしいものがあります。
それだけに、パトス(感情)やエートス(人間的魅力)には、
それほど価値を見出していないのかも知れません。
アリストテレスが提唱したコミュニケーションの3要素は、
今を生きる我々にも多くの気づきを与えてくれます。
どの要素も大切。だからこそ、どの要素も磨いていく必要がある。
改めて、そんな思いをさせられる出来事でした。
以上
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以上、アビコレポートでした。