2017.7.24(月)
ひろ☆たかさわのディベートちょっといい話
第217回 「劉暁波氏と非暴力」(2017年7月24日)
ひろ☆たかさわ の ディベートちょっといい話 第217回
こんばんわ
中華人民共和国(中国)の劉 暁波(りゅう・ぎょうは)氏が亡くなったというニュースが
テレビニュースのトップで流れたわ。
61歳での逝去。
1989年の六四天安門事件で、非暴力での民主化を訴え
2008年の「零八憲章」を起草。
2010年にノーベル平和賞を受賞した。
ノーベル平和賞とは、文字通り平和に貢献したひとに捧げられる。
定義は、「国家間の友好関係、
軍備の削減・廃止、及び平和会議の開催・推進のために最大・最善の貢献をした人物・団体」
に授与すべしとしているが、
ここ最近は、「平和」の概念を広く解釈して、
「人権擁護、非暴力的手法による民主化や民族独立運動、保健衛生、慈善事業、環境保全などの分野」にも及んでいる。
中国という巨大国家のなかで、
民主化や非暴力が悪とされ、投獄される。
投獄されて、ノーベル賞の授与式にも出られず、
最後も仮釈放の状態で亡くなった。
最善の治療をしなかったとの西側の批判に
中国政府は内政干渉だと反発する。
平和とはなにか?
あたしたちは「平和」=「善」と思って
考えているけど、
「平和」「幸福」をもっと広げて
「民主的」「自由」が良いことだってどうやって証明するのかしら。
こんな風に悩み考えて答えは出るのかしらね。
哲学の領域に入ってくる。
トップが物事をきめ
それにしたがって物事がきまれば
うまく行くかもしれない。
でも、「うまく行く」ことが誰にとってよいことなのか?
やる方は、「自分たちで決めたい」
と、民主化を叫ぶ。
独裁政治や汚職の温床になる。
では、「自由」や「民主化」がよいのか?
規制や弾圧がなくなり、人間らしい生活ができるような気がするし、
自分で考え学ぶことは大事だし、
自由を求めた尾崎豊の世界からなにか斬新なものが産まれるかもしてない。
ただ、やがて堕落がうまれ、犯罪がおこり、格差が生まれる可能性はある。
人間の成長が阻害され、
統一感のない組織になる。
劉氏が天安門の前で銃を捨てる映像がたびたび流れるけど
この問題は、単純に「平和か平和じゃないか」ということではなくて
歴史ある中国の体制にアンチテーゼをたたきつけたことへの
称賛なのかしら。
それがないと、新しい発展的な考えは産まれようがない。
一個人のコミュニケーションとは別の次元で
ものすごいスピードで、
ものすごいエネルギーで動いていることがわかる。
訴えた「非暴力」は
また、民主化や自由と別の次元で考えてよいと思う。
暴力で争うより、
言葉で話し合って、それも恫喝ではなく冷静に。
これが、物事を解決する手段として最適であること。
これが、
子供同士のけんかだけでなく、
夫婦間や話や、親子間の教育においても、
様々な交渉においても、難しい。
それは、感情のコントロールにあることが
解明されつつある。
国家間ではそうはいかないけど、
でももとをただせば同じこと。
カッときたから殴る、腹がたったからミサイルを発射する。
これを抑える成熟した社会が必要ね。
もちろん、反対意見を尊重し受け入れつつ。
それでは また・・・
BY ひろ☆たかさわ
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