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2013.10.7.(月)
ひろ☆たかさわのディベートちょっといい話 2013年度
第21回 「トップはどこまで責任を取らねばならないのか?」(2013年10月7日)

週刊コラム 時事問題をネオ・ディベートでひも解く
鬼才・ひろ☆たかさわのディベートちょっといい話 第21回

今日のお題は「トップはどこまで責任を取らねばならないのか?」

こんばんわ

だいぶ涼しくなってきたけど
皆様いかがおすごしかしら?
二丁目の先輩おねえたちも無理して薄着でがんばってるから、
季節の変わり目、きをつけないとね!!

前回話した某メガバンクの問題で
問題の報告を受けなかった頭取が減給処分になるみたい。

組織の在り方として、当事者ではないトップがどう責任をとるかという問題ね。

2005年に兵庫県尼崎で起きた
福知山線脱線事故は、乗客乗員107名の死者を出した惨事なのだけど、
神戸地裁は、JR西日本の歴代3社長に無罪を言い渡した。

この問題は、法的な考え方がいろいろ絡むみたいね。
ひとりの若い運転手がおこした事故について
日本の法律では、その企業やトップの刑事責任を問えないということみたい。
被害者遺族の感情を考えるといたたまれないわ。

銀行の問題と、この事故の問題はちがう。

そもそも、会社内部の処分と刑事事件では意味合いがちがうけど

銀行の問題については、

まず、トップとして

知らなかったでは済まされないということ。
昨今さまざまな企業不祥事の謝罪会見で
「報告があがってこなかった」と平気でいうひとがいるけど
それは、甘い体制をつくった企業の責任よ。

それに対して、脱線事故については
一社員が現場でおこした事故についてトップの責任があるかどうかということ。
これについて、
「企業だからトップに責任があるにきまってるじゃない!」
といえないところが論証の難しいところ。
なぜ、組織のトップに刑事責任があるのかを、理由をつけてしっかり説明しなくてはならない。
あたりまえとか、当然という概念はディベートには存在しないのよね。
つねに反対側が存在する、かくれた側面があるというを考えなくてはならない。

太田龍樹の著書『話し方にもっと自信がつく100の法則』(中経出版)
法則25において、隠れた理由のことがかかれている。
事故が起きる→トップが責任をとる
このあいだにある、隠れた理由を徹底的に考えると、
問題がいろいろみえてくるのね。

なにか、ひねくれたものの考え方って思うけど
感情だけでものを考えてはいけないってことなのかしら。
なんでも法律に照らし合わせて考えるのもおかしいとおもうけど。
素直な人間の感覚や感情も必要、だから裁判員制度も導入されたのだけど、
一方で、冷静に両面から見る目も必要なのよね。

あたし個人的には
107人もの死者を出したことにたいして責任をとるべきだし
そのようなリスク管理体制をきびしくとってなかったことに問題の重大性をみるべきだと思うけど、
すべての責任を背負って経営している社長が、その在任期間に部下がおこした事故や不祥事で
刑事責任を負わされるというのは
会社経営やその経営者の人生という側面も見てあげないといけないのかしらね。
これでは、だれもトップになりたがらない。

銀行業務に詳しい半沢リュウキ氏は
「銀行のトップは、報酬カットなどというあまっちょろいことを言ってないで
土下座してもらいたい。
銀行はお客様のためにある。これではなにもかわらない!!」
と怒りをあらわにしている。

人の命と、この経営など反対の側面を比較する、ものすご重いテーマ。
今回の判決を変えるとしたら、法律そのものを変えないといけない。
時代の変化にこたえていかなくてはいけないのね。

それでは また

By ひろ☆たかさわ

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