講評

講評

論題

ネオディベート・ブートキャンプ 第2シーズン
第3回講義(2013年10月6日開催) A面第三試合
「日本は出生前診断に基づく人工妊娠中絶を容認すべし」

講評:井上 晋

肯定側:ディベーターKA / ディベーターMN
否定側:ディベーターHK / ディベーターKI
【試合結果】:肯定側勝利
肯定側 1票 vs 否定側 1票
(ジャッジ2名による合議、総得点による)

■<肯定側立論/ディベーターKA>
哲学)個人が自ら選択でき、(健常者と障害者)が共生できる社会

M1)個人の自己決定権を守れる
M2) 現在の障害者援助の充実になる

M1については、
・晩婚化が進んでいる
 という現状を踏まえ、その上で、
 高齢出産になるほど出生前診断を受けているというデータを示した。

 現状分析がレバレッジとなり、
 自己決定権得ることの重要性を押し上げた。


また、M2については、

・障害者対策の国家予算が少ない(他国との比較に基づく)

という証拠をもとに、
そのなかで、
障害者は守る、でも障害者の発生は抑えようという
英国のダブルスタンダードの考え方を提示し、
プランにより、生まれた障害者の援助がより手厚くなる事を立証した。

日本の障害者への保障予算が、高速道路1キロ分とした
例示は強烈であったが、、
「だから増やせ」という主張ではなく、
「だから少数で大切につかう」という主張に帰結。

「少なくても貴重なお金」→「大切に使おう」は
分かりやすいレトリックであるが、

「高速道路1キロ分」から受ける印象は、
些細なお金ということ。

強調のレトリックと主張とがちぐはぐな印象。
ディベータの若さを感じる。

■<否定側尋問/ディベーターHK>

まず、哲学について疑問を持ち切り込んでいった。
「共生」について、
肯定側の共生は、事前に選別があることを指示し、
ヨーロッパを中心に主流となりつつある
「ノーマライゼーション」とは異なることを明確にした。

これは、素晴らしい展開。
しかし、惜しむべきはこの哲学の違いが、
後半に続いていない、、、。

また、晩婚化=中絶が認められること
国家予算が少ないこと=中絶が認められることと
直結しないのではないかという質問を投げかけた。

実際には、直接の因果関係ではないが、
現状がそうである限り、重要性が増すという
ことが正解。

ただし、双方ともここを明確にすることができなかった。

尋問する側も、回答する側も、論理のカラクリが見えていないのか。

最後に、
「健常者とそうでない人の基準はなにか?」
つまり、
「何を持って、障害者とするのか」という、
本論題の本丸に切り込んだ!!

ここにおいては、肯定側は明確な回答をすることができなかった。

しかし、これも、尋問どまりの争点となってしまい、
反駁以降に活かせていない。
とても残念。

■<否定側立論/ディベーターKI>

哲学)命の選別を許さない
D1)優性思想は認められない
D2) 出生前診断を命の選別に使ってはならない
D3)命の価値は平等

命の選別を許さないという哲学を支える根拠を3点に絞った立論。

D1については、
1999年での国連での決議やドイツの事例などをあげ、
世界的な潮流証明し、それに逆行する行為であることを証明。

D2については、
出生前診断は、発見・治療・準備のためのものであり、
排除に使われるものではないと主張。

排除に使用しない理由として、流産のリスクを挙げたが、
これは、診断のリスクであり、排除のリスクにはなっていない。
このあたり、少しもどかしさを感じた。

D3は、
ダウン症作家、金沢祥子さんの母親の証言を引き、
かなり聴かせるプレゼン。

肯定側の「1人目に障害を持った子供の親の70%が、
二人目が障害児と分かった時に出産に悩む」という
統計的エビデンスに対し、
一事例でしかない否定側の主張であるが、
聴く者に生命について考えさせる力を持っていた。

■<肯定側尋問/ディベーターMN>

D3に対して執拗な尋問となった。

D1,D2に対するチャレンジが欲しかったところであったのが残念な点。

■<否定側反駁/ディベーターHK>

障害者への負担の反駁
・生活保護制度がある
・税優遇、障害年金がある
・親は負担に感じていないという実例

また、試合のありかたとして、
肯定側が出生前診断や中絶に触れてないのはおかしいと再度反論するが、

いずれも、インパクトが不明。

どの程度生活が保障されているのかが、不明なまま。

また、肯定側は、保障の全体額が「すくないこと」
そのものを改善しようとしているわけではなく、

1人当たりを増やそうという主張。

否定側の主張は、肯定側の「一人当たりの保障が向上」という主張を反証するもではなく、
あくまでも総量が十分といいう主張。

現状が十分であるというならば、基準を示す必要があるが、
どの線をクリアすれば十分なのかは不明。
そうであれば、今より少しでも(一人あたりが)よくなる肯定側に軍配。

残念ながら否定側は、相手を受けた反証になっていない。


後半は、ノーマライゼーションという時代の流れに逆行し、
法的に問題ありという主張を展開しようと試みるも、
完全にタイムオーバー。

あと、1分ほど聞いてみたかった。
残念。

■<肯定側反駁/ディベーターMN>
D3に対し、母親に対する情報開示が不十分と反論。
また、命の重さは認めるが、母親が産む決断をしたことも尊重すべしと反論。

肯定側の主張のキーである、
選択できることの重要性を補足

いわく、(選択できなかったために)
年間で6件の無理心中が起きているというデータと主張。


また、選択=排除となるわけではなく、
カリフォルニアでは、40%の方々が、生むという選択をしていることを
証拠として引用。


M1の重要性を確実に伸ばした形となった。

■<否定側最終弁論/ディベーターKI>
命の重さを再度主張。
100%の障害者などいない。
命の選別は許されない。
と従前の主張の繰り返しとなる。

否定側 KI の情熱あふれる最終弁論だったが
やはり主張のみで、理由や背景に乏しい感は否めない。

また、肯定側との比較ができていなかった。

■<肯定側最終弁論/ディベーターKA>
肯定側の哲学をうまく表現した形となった。
『共生と共存』

フックとして、限りある「お金」の使い方に再度触れ、
「障害は憎むが、障害者には手厚くする」という、
ダブルスタンダードの重要性と説く。

また、親の立場にも再度スポットライトを当て、
子供、親、社会と3方向のキャストにおける
メリットを再確認した最終弁論となった。
お見事!!

■<総括および判定>
肯定側の勝利。
最大の要因は、否定側の戦略ミスか。

肯定側は、『選択の重要性』と『最適な資源配分』という、
戦略をとった。

否定側が受けて立つには、
『命の選択』=『必要なこと』である、
という肯定側のスタート地点をつぶしにかかる必要があった。

そのためには、
選択はそもそもNGと立証することと、
選択によるメリットは無いということがポイントであった。

しかしながら、そもそも論においては、世界的潮流に触れるのみで、
なぜ『命の選択』がNGなのかが、立証されずじまいであった。

振り返ると、尋問で切り込んだ「何を持って障害とするのか」や
反駁で時間切れになってしまった法的な問題の争点が、
結実しなかったことが悔やまれる。

一方で肯定側は、
『選択の重要性』とそれによる選ばれた障害者のメリットを終始守り続けた。

尋問は有効に機能しなかったものの、立論→反駁→最終弁論と
2つの主張の軸を発展的(エビデンスと重要性を重ねながら)に展開した。

特に、最終弁論の肯定側 KA においては、
それまでの議論がすべて見えていたかのような、
それまでの30分をまとめる素晴らしい出来であった。
ディベートの神が彼に微笑んだ瞬間だった。

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