論題
BM漢祭り2004 予選第5試合(2004年2月)
「日本政府は、裁判員制度を導入すべし」
講評:中西夏雄
肯定側:奥山真
否定側:久保田浩
【試合結果】:肯定側勝利
ジャッジ総数14名
肯定側 71.05P(6票) 否定側 59.28P(8票)
■<概 略>
肯定側は、「司法への民主主義の導入」を理念とし、民主主義とは何か、そして民主主義における司法の役割とは何なのかを丁寧に説きつつ、裁判員制度は、その理念を実現させるに最適の政策だということを理念とがっちり組ませながら訴えかけていく。
対する否定側は、現状がベターであり、裁判員制度によるデメリットを訴えていき、肯定側の挙げるメリットが果たして本当にメリットなのか厳しく尋問・反論していく展開となった。
■<肯定側立論>
◇民主主義の定義
┣①チェック&バランスが効いていること
┣②透明性が高いこと
┗③国民の関与が大きいこと
◇プラン1点
裁判員制度の導入 ※1/30の政府案にのっとる◇メリット4点
┣①事実認定のチェック&バランスができる
┣②透明性がアップする
┣③司法への国民基盤が作られる
┗④裁判の迅速化
―考 察
まずは、民主主義を定義付け、その中で司法の役割を説き、裁判員制度の導入理由を明確にしていった。さらによかったのは、最初から争点を明らかにしていたことだ。それは 、 「国民に果たして裁判の能力があるか」である。これは、今回の論題の重要ポイントの一つといえよう。肯定側はエビデンスを使い、国民に能力があること、さらに理念に照らし合わせ、国民が裁判に参加する必要性を訴えていった。
■<否定側尋問>
メリットへの尋問が目立つ。②においては、透明性アップがどうしてメ リットとなるのかという尋問、また、なぜ今のタイミングでこのプランを導入するのかという尋問に対して、肯定側は沈黙せざるを得なかった。
■<否定側立論>
◇デメリット3点
┣①裁判の質の低下
→トレーニング、経験のない国民による裁判では公正な裁判は無理。
┣②コストアップ
→1.裁判官は裁判員へ裁判の要旨を説明しなければならないため
2.裁判員となるために仕事ストップ→景気への影響増大
┗③国民の負担増加
→裁判長期化の可能性。社会復帰が困難
◇メリットへの攻撃
①チェック&バランスは不可能
→デメリット①で挙げたように、公正な裁判が行われないため実現せず。
②透明性アップのメリットが不明確
→むしろプラン導入で公正さが失われる事の方が重大
③国民基盤の確立がなぜメリットか不明
→一生に一度選ばれるか選ばれないかの程度。50:50によって確立すべきものかどうかのものに、デメリット3点が明確なプランを導入すべきではない。
④迅速化は逆効果
→審理を急ぐあまり、公正さを欠くことになる。
―考 察
肯定側が挙げている争点に沿う形で、デメリット①を挙げる。さらに②③のデメリットを挙げるが、②はいったいどれぐらいのコストアップなのか、③についてもどれぐらいそういう危険性があるのか、具体的な数値を提示していないため、いまいち説得力に欠ける。全般にデメリットの深刻性が伝わってこない立論となっていた。
■<肯定側尋問>
デメリット①に対して、裁判員制度のミソである裁判官との合議制を リスクヘッジであることを提示しながら、否定側の想定するデメリットが無効であることを証明していく。また裁判の長期化や、コストについては、具体的な例、数値を提示するよう要求していき、否定側 のデメリットを丹念に潰していった。
■<否定側反駁>
尋問で苦しくなったのか、争点を「導入のタイミング」に切り替えて反駁していく。すなわち、①景気が悪い②日本人の気質に合わない③国民の力量が達していないという理由からとした。
コストアップは景気に影響を及ぼし、トレーニングを受けていない国民では、その付和雷同的な気質のため判断がブレやすく、そして当然力量もない。逆に、裁判官との合議制ということは、裁判官にその能力、信用力があることを物語っており、敢えて裁判員制を導入する必要はないと訴えた。
一見するともっともな感じではあるが、肯定側の理念によるプラン導入を崩すことは全くできていない。理念が正しいのか、また実現不可能なのかという論点に対しては、一切反駁できていなかったことは、大きな失策といえよう。
■<肯定側反駁>
尋問でほとんど潰していたデメリットを再確認し、もういちど立論で提示した争点に立ち返る。そして、なぜこの制度が必要なのか、導入する意味はなんなのかを、理念と司法の役割に照らし合わせ、言葉を換えながら熱く訴えていった。これにより、国民負担も国民負担ではないことも反駁されるという、素晴らしい反駁であった。
■<否定側最終弁論>
裁判官=リスクヘッジならば、全て裁判官に任せればよい、コストアップ、そして導入タイミングがまずいことをまとめながら説いていく。しかし、反駁のところでも述べた通り、肯定側は裁判員制度の必然性を、理念と司法の役割に求めており、ここに対する攻撃がない限り肯定側を崩す論としては弱いと判断できる。
肯定側の枠組みにうまく乗り切れなかったことが原因のひとつとして挙げられるであろう。
■<肯定側最終弁論>
最後まで、司法の役割、そして司法と国民の関わりの重要性を十分に伝え、裁判員制の導入理由を強いものにしていった。プラン、メリット全てが哲学から発生しており、そして立ち返ることのできるものだった。
■<判定と総括>
肯定側勝利の判定。
この試合は、肯定側が非常に素晴らしい試合を展開してくれ、重要なポイントがいくつもあるが、 今回は言葉の定義に注目してみたい。我々が日常的に使っている言葉には、そのかっこよさ、響きのよさだけで、実際は非常に曖昧なものが多いことを、読者の皆さんはどこまで実感できているだろうか。例えば、時代の要請、多様な価値観、民主主義など。しかし、それらが具体的に何をさしているのか、どういう概念なのかが説明できなければ、空疎な言葉の並べ立てに過ぎない。言葉の定義づけとは、その言葉の指す内容を具体的に示すこととも言い換えることができる。
そこで肯定側の立論を見ると、まさに民主主義、そして多様な価値観を定義付けしたところが素晴らしい。前述したので省くが、民主主義は3本柱から成っていると定義付け、多様な価値観は 「性別、様々な年代の人、様々な職業に付く人々によってもたされたもの」と定義付けた。そして、これらの定義が、プランやメリットとがっちり結びつき、論を強固にしていくことに成功したものであった。
これにより、哲学とプラン、メリットが三位一体となり、裁判員制の必要性、重要性、実現性が十二分に説得力を持つことができた。
対する否定側は、最後まで肯定側の大きな枠組みに乗ることができず、制度上の不備や、導入タイミングに反撃の路線を敷いてしまった。しかしながら、尋問においては目を見張る部分があり、完璧な論を構成してきた肯定側が、一瞬沈黙する鋭さも見せてくれ、内容を突き詰めて、相手を追い込んでいく能力の高さを、改めて見せ付けてくれた。