2013.12.12.(木)
井上晋の「マッチョな政治といつか来た道」
第9回 人々は、本当に自由を求めているのか(2013年12月12日)
BURNING MIND主席講師・井上晋の『マッチョな政治といつか来た道』 第9回
前回は、食品偽装問題から、
「自由」というものについて考えてみましたが、
今回は、「人々は、本当に自由を求めているのか」
ということについて考えてみます。
「自由を求めているに決まっているじゃないか」
「僕は、自由が大好きだ」
という反応が返ってきそうですが、
常識を疑ってみるというのも、
ディベートの大切な考え方ですので、
この問いに対して、考えを進めてみましょう。
日常を振り返ってみて、
我々が本当に自由に行動すると、
様々な問題が起こります。
道路は、違法駐車であふれかえってしまうでしょうし、
ごみを分別しなくなる人も増えるでしょう。
また、他人の大切なものを傷つけてしまう人も多くなるでしょう。
これは、個人の自由が他人の利益を侵害してしまっている状態です。
「個人」が「公」のなかで、生活していくためには、
「個人」に課せられた義務を守らなければならない。
その為に生まれる、不自由があります。
税金や年金を我々が支払うのもそのためです。
これは、とても分かりやすい自由の制限です。
このことから、「我々は完全に自由ではない」ことが
分かりますが、
しかしそのことは、
「自由を、求めていない」とは、
言えないでしょう。
あくまでも、制限されている状態ということ。
では、制限がなければ、本当に我々は、
自由であることを求めるのでしょうか?
実は「流されていることの方が、ラクだな」
と感じ、そうしていることが
意外に多いのではないでしょうか。
これが、今回のテーマです。
例えば、会社に属するということ。
自分が何をもって社会から、お金をもらい
自分の生活を守っていくのか、
ということを日々考え続けるよりも、
決められた業務を行い、
決まった賃金をもらうことの方がラクだ、
と考えている(感じている)ことはないでしょうか。
自由とは、自分で考えてそしてその上で、
自己責任のもとで何かを「決める」ことです。
これには、相応の労力とパワーが必要です。
例えばの話ですが、
「うちの地域のゴミだしのルールは、
自分にとって不便である」
と感じたならば、
自治会に働きかけ、
地域の人を説得し、
場合によっては、役所や市議会に働きかけ、
それでもだめなら、自らが立候補して、、、
と積極的な自由実現をするには、
相応の行動と責任が伴います。
そして、その行動をとる制度は、
この国にはしっかりと準備されてます。
しかしながら、多くの人は、
「そこまでするぐらいなら、
少々の不自由は我慢する。」
という選択をするのではないでしょうか。
いわゆる消極的自由というものです。
社会心理学者のエーリッヒ・フロムという人は、
「自由からの逃走」という著作の中で、
「人々は自由から逃げるもの」としています。
その理由として、
「自由を手に入れれば入れるほど、
人は孤独になるから」
としています。
これは、言い直すと、
人々が自由から逃避する理由は、
「面倒であるから」
ということも大きな理由なのではないでしょうか。
「食品偽装」の現場にいた人たちも、
プロの料理人として、
「自由に自分が良いと思うものを作りたい」
「理想のレストランを作りたい」
という思いは、少なからずあったと思います。
一方で、
「材料費を上げてもらうには、仕入れ部門に交渉しないと」
「材料を本物にすれば、売り上げが上がることを証明しないと」
「でも、売り上げが上がらなかったら、誰が責任をとるんだ」
「いっそ、独立して自分のお店を持った方が良いのか、、
いや、そこまでは思いきれないし、、」
「多くのお店でもやっていることだしな、、」
そんな、葛藤があったのではないでしょうか。
これは、我々の日常に溢れている、
葛藤(もしくは、意識下に押し込められている結論)では
ないでしょうか。
自由を求める行動というものは、
ある時点から、その労力が得られる対価(自由から得られるもの)を
上回ってしまい、人々の行動を鈍らせます。
フロムの言うとおり、自由を求める行動は、
ある時点から、組織からの独立による孤独を伴います。
そのこと自体は、悪いことではなく、
合理性のあることだと思います。
しかし、得られると思う対価の価値を
無意識にどんどんと引き下げていってしまうと、
どんどんと、不自由を受け入れざるを得ない、
社会を作っていくことになります。
積極的自由と、
消極的自由とのボーダーラインを
どこにおいているのかを、
私たち自身が常に自戒していないと、
世の中がどんどん不自由になってしまいます。
孤独を恐れること、
面倒だと思うことが、
気が付くと取り戻せない状況を作ってしまうかも
しれません。
以上