2016.12.29(木)
アビコ青年のディベート事件簿
File52「『日本死ね』に思う、言語感覚」(2016年12月29日)
本日のテーマは「『日本死ね』に思う、言語感覚」です。
■流行語大賞への違和感
年の瀬を感じる風物詩の一つ、流行語大賞。
今年の物議をかもした言葉は、「保育園落ちた日本死ね」。
確かに日本の現状を反映しているのかもしれません。
ですが、「死ね」という言葉を流行語大賞トップテンに入れるのは不適切ではないか。
そんな批判の声が上がっています。
私もやはり否定側の立場です。
ものの例えや比喩のつもりなのでしょうが、言葉が汚すぎます。
「待機児童」で十分。これも浸透した言葉です。
それに、他国に同じような言葉を使えばヘイトスピーチなのに、
「日本死ね」だと流行語大賞トップテンというのも違和感があります。
自国(自虐)だったらいいのでしょうか。不思議な話です。
■言葉の持つニュアンスを感じ取る
仮にも言葉を扱う賞なのだから、
言葉に対する感覚(言語感覚)の繊細さは選考委員に必須の条件です。
「死ね」という言葉の持つ負の力に対して、
今回は選考委員よりも一般市民の方がまともな感性を持ち合わせていたと思います。
振り返ってみれば、「言語感覚」で思い出すのは予備校時代です。
現代文の講師が、評論文で何気なく使われていた「盲目的」という言葉に対して、
以下のコメントをしました。
「この言葉(=盲目的)、もちろん本文ではネガティブな意味で使われています。
よく考えれば視覚障がい者に対する差別的な言葉とも言えます。
別に視覚障がい者は悪い存在ではないのですから。
もちろん、筆者にそのような意図はないでしょうが、
我々が日常的に使っている言葉にも差別的な要素が含まれていることは良くあります」
私の身近には全盲の方がいたので、妙にしっくり来たのを覚えています。
あまり神経質になりすぎるのも良くありませんが、
言葉はそれほどに繊細なものであり、
そのニュアンスも含めてしっかり理解する必要はあります。
■語彙力は、生き方を変える力
なぜ言語感覚を大切にしなければいけないのか。
詳細は割愛しますが、その理由の一つは、
人は言葉でしか物事を考えられないからです。
当然、語彙力が豊富であればあるほど、
物事を考える力も増していきます。
反対に、語彙力が少ない人、言葉をいい加減に扱う人は、
物事の捉え方もいい加減になってしまいます。
考えるためのツールが少ないからです。
身近な例でいえば、人は自分の気持ちも言葉で整理しています。
辛いとき、自分の心情を表す適切な言葉が見つかれば、
気持ちもある程度は整理できます。
日記をつけると気分がすっきりするのと同じです。
一方、適切な言葉が見つからなければ、
「イライラ」「モヤモヤ」してしまいます。
言葉の数が少ない人は「ムカつく」の一言で片づけてしまうかもしれません。
ですが、それだけでは気持ちの整理がつかず、
暴力的な行動に走ってしまうケースもあるでしょう。
語彙力は、その人の行動・生き方を変える力があるといっても過言ではありません。
■言葉に対する感受性
そもそも、この賞は「現代用語の基礎知識の宣伝」が目的でもあるでしょう。
その意味では、話題作りには成功したとも言えます。
ですが、言葉を扱うプロとしての意識には疑問を感じてしまいます。
見方を変えれば、言葉が持つ繊細なニュアンスを考えるきっかけにもなりました。
今回の流行語大賞に非難の声が上がったのは、
多くの人の言語感覚が「死ね」という言葉に拒絶反応を示した結果でもあります。
私も言葉を扱うNPO法人の一員として、
改めて言語感覚を大切にしようと思う契機となりました。
気付けば今年もあとわずか。
皆様が一年を振り返ったとき、
少しでも明るい気持ちになれる言葉に満ちた一年であることを願います。
季節の変わり目、どうかご自愛ください。
今年も本コラムにお付き合いいただき、ありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします!
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以上、アビコレポートでした。