2018.3.19(月)
ひろ☆たかさわのディベートちょっといい話
第250回 「ディベートを通じて何を学んだらよいのだろう?」(2018年3月19日)
ひろ☆たかさわ の ディベートちょっといい話 第250回
こんばんわ
大手ゼネコンによる
リニア中央新幹線談合のことが
世間を騒がせているわね。
談合が「悪」であることを証明するのは
それほど難しくはないのだけど
この国家的事業を期限までになしとげることを
司法や経済界はどう考えているのか?
ところで、
「ディベートを通じて何を学んだらよいのだろう?」
常々この問題をかんがえてきた。
ロジックだけを学んではいけないと、
そのバランス感覚を追求してきた。
相手があるのだから、
なにかを伝えなくてはならない。
でもただ伝えるだけなら
紙に書いて渡せばよい
メールに書いて送ればよい。
言霊に魂がやどり、そのまなざしや笑顔に
ひとはこころが震え
このひとのいうことならもっと聞いてみたい
このひとのためならやってあげたい
このひとについていこうと思える。
そんな想いになるのは
やっぱり理屈ではない。
そして、自己中心や一方通行であってはならないと
自分をいましめる。
鷲田清一のコラム「折々の言葉」から。
「『ディベートは、話す前と後で考えが変わった方が負け。
ダイアローグは、話す前と後で考えが変わっていなければ意味がない。』
ディベート(討論)とダイアローグ(対話)の違いについて訊ねたとき、
劇作家・平田オリザさんから即座に返ってきた答え。
対話は、共通の足場をもたない者の間で試みられる。
呼びかけと応えの愉しい交換であり、吐露と聴取の控えめな交換であり、
埋まらない溝を思い知らされた後の沈黙の交換でもある。
討論よりはるかに難しい。」
そもそも、「共通の足場」など
あたしたちには、あるようで無いのよね。
同じ人間であるというだけで
みんなそれぞれの環境で生きてきて
いろいろな目指すものがあって
立場も違えば、考えも違う。
同じ頂を目指していても・・・・
でも、そんななかでひとつのものを創り上げようという
「情熱」こそが源泉で
その、幾度も重なり続ける「交換」こそが
コミュニケーションなのだ。
ちいさな共感を、大きな付加価値に変える影響力を
この交換のなかで発揮できるか。
最終的に「埋まらない溝」はあるかもしれない。
でもそれを理解し、認め合い、
前をむいて最善の方法を考えよう。
あるときは、すなおにあきらめることも必要。
その沈黙の交換も、ひとつの対話なのだから。
ディベートを学ぶことは、
視野をひろげ、一貫性のあるぶれない議論をする。
人間を骨太にし、柔らかくもしてくれる。
東日本大震災で被災した方々を想い
世界平和や経済の問題を考え、
日常生活をより豊かにするために
またこれからも学び続けよう。
それでは また・・・・
BY ひろ☆たかさわ
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