2015.9.1.(火)
ひろ☆たかさわのディベートちょっといい話
第119回 「柔道の野村忠宏選手が現役を引退」(2015年9月1日)
ひろ☆たかさわの ディベートちょっといい話 第119回
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こんばんわ
この週末は雨模様、
寝屋川での死体遺棄事件の報道が続く
重苦しい雰囲気だったわね。
そんななか、柔道の野村忠宏選手が現役を引退
というニュースが流れた。
40歳。
1996年のアトランタ五輪で金メダルをとったのは
もう19年前のこと。
以来、2000年のシドニーと2004年のアテネで
柔道史上初の五輪3連覇を達成!!
歴史にのこる偉業をつくった。
2004年、いまから11年前のアテネの3連覇も
怪我と減量とブランクに立ち向かう
壮絶なる闘いだった。
当時、30歳というのは
競技のピークをとっくに超えていた。
それでも、その心技体を整えて見事に金を獲った。
イケメンなのに派手さは無く、
「平成の三四郎」を演じ、
金メダルをとっても、いつも谷亮子に話題をさらわれる、
そんな謙虚さがにじみ出る存在だったわ。
4連覇を狙った2008年の北京五輪は
国内選考会で敗れ、舞台に立つことはなかったが
怪我の手術もして、自分が納得できるまで闘い続けた。
なぜ、五輪三連覇という前人未踏のレジェンドが
いまなお現役を続けたのか?
「3連覇は自分にとってひとつの結果」といい、
「さらに強くなりたい、うまくなりたい」という
そんな想いしかなかった。
後進を指導するというより、
自分の現役にこだわり続けた。
そんな輝かしい実績を持つ男が
「負ける」ということに対してどう考えてきたのか?
2008年、2012年と五輪切符を逃し
それでも闘い続けてきた2015年8月。
最後の全日本実業個人選手権で引退。
1,2回戦は得意の背負い投げがさく裂して勝利するも、
最後の3回戦は、
17歳年下の選手に豪快に投げられて一本負けした。
くしくもカザフスタンの世界選手権では、
トップの日本選手たちが金メダルを量産していた。
自分の勲章は、すぐに忘れることができたのかしら。
プライドも捨て、負けを恐れず闘い続けてくれたのね。
成功して安堵する、勝って天狗になる
そんな自分を戒めてくれる・・・・・・・
逆に、失敗してもまた
明日立ち直ればよいと教えてくれる。
最後の引退会見では
「柔道にかける想いが尽きることはない」と語った。
ただ、肉体の限界はとうに超えていた。
でも、負けることを恐れずに、限界まで追い込み
現場で闘い続けることで感動を与えてくれた。
そんな野村選手の最後を
水泳の北島浩介やフェンシングの太田雄貴というメダリストが、
会場で見届けた。二人とも、満身創痍の先輩の姿に涙していた。
ゆっくり休んでください。
もうボロボロのカラダなのだから。
そして、またレジェンドをつくる人材を育ててください・・・・・・
それでは また
BY ひろ☆たかさわ