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2015.2.19.(木)
ひろ☆たかさわのディベートちょっといい話
第91回 「サッカー八百長問題」(2015年2月19日)

週刊コラム 時事ネタをネオ・ディベートで紐解く
ひろ☆たかさわの ディベートちょっといい話  第91回
こんばんわ
前回は、
大相撲の白鵬の失言問題を扱ったけど、大相撲でも八百長問題が蔓延した時期があったわ。
でも、ここにきてサッカーでも八百長があることが世に知れ渡った。
いや、八百長なんてどこの世界でもある
なんて言い始める人もいるけど、
ここまで執拗に問題視されるにはわけがあるのよ。
それは、金銭の授受があり、だれかが不当に利を得ることを操作できるから。
そして、その真剣勝負を見に来ているファンを裏切る行為だから。
アギーレ監督がその八百長疑惑で解任された。
日本サッカー協会も、このような事態になり
苦渋の決断と言えるが、
はたからみたら、疑惑のある監督の解任は当然という論調。
まだ真偽のほどはさだかではないが、
まずは間違いないのでしょう。
アギーレ氏がどんなひとかわからないし
八百長の常習犯かどうかも調べなければわからない。
でも、一度でも手を染めたら
組織を率いるトップとしてやってはいけないと痛感させらるわ。
この不当な利益という点について
今回の問題では多額の金銭が動いたといわれる。これは、どう考えても許せる話ではない。ものごとの結末を知ってて、賭けにでる行為も同様だ。
株式市場におけるインサイダー取引は、厳しく罰せられる。
次の論点だけど、
真剣勝負を見に来るファンに対して。
これに対しても、八百長が肯定されることはない。
しかし、話は少し変わるが
実力通りにやって一方的な試合を見せられて、ファンは喜ぶのかしら?
だからといって、強いチームが手を抜いていい試合を演じることが許されるわけではない。これも、金は動いてないけど八百長と変わらないから。
ただ、ここでひとつ考えたいのは、
見ている観客をもてなすという精神は、
肯定されてもよいのではないかということ。
スポーツは真剣勝負に変わりないけど、
どんな手段を使ってでも勝とうとするのは、その精神に反する。
そういう意味で、例えば相撲であれば
立ち会いの一瞬の変化で勝負がきまる真剣勝負と、お互いの攻防があり一分を越える熱戦を見せられたら、
おそらく後者が称えられるだろう。
たとえ八百長であってもよ。
ここに、BMが提唱する
「受けの美学」
「51対49の法則」という概念がでてくる。
それは、相手へのおもてなしであり、見ている方々へのおもてなし精神だ。
自分が今まで準備してきた体力や技術をすべて出しきろうとするのは当然よ。陸上競技やフィギアスケートなどの個人競技で目の前に相手がいないならそれでよいわ。
ただ、相撲やプロレス、サッカーなど相手との攻防があるスポーツは、とくにハイレベルな闘いにおいてはそこを念頭におくべきでしょう。
力を抜けといっているわけではないわ。ただ勝とうというのではなくて、相手の戦術を見て、それを受けて、攻防の妙をつくる。そして、圧勝する必要はない。一点差でも勝てばよい。それでお客さんが喜んでくれるなら。
これは、プロスポーツに必要な要素であると感じる。
そこから、コミュニケーションをとるうえでも、相手を受け入れ、共感してから自分の論を展開するというサイクルをとる。これが、相手から、あるいは第三者からの支持を集め、人間的魅力を高める。BMがコミュニケーションセミナーにおいて、一番大事にしているところね。
八百長を肯定しているわけでないし、今回のアギーレ氏の話とは少しはずれたけど、プロスポーツとコミュニケーションの関係において、そんなことを考えたわ。
それでは、また
By ひろ☆たかさわ

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