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2018.3.25(日)
第57回 「命について」(2018年3月25日)

ほぼ月イチコラム
時事問題がわかる BURNING MIND主席講師・井上晋の『賛否両論のための基礎知識』 第57回

今回のテーマは、命についてです。2つのニュースから感じたことを書き留めたいと思います。

一つ目のニュースは、
日本産科婦人科学会が、新型出生前診断(NIPT)について本格実施に踏み切る方針を固めたというもの。
詳しくは、こちら
https://mainichi.jp/articles/20180128/ddm/002/040/069000c

2つ目のニュースは、
NIPTを実施する医療機関で作るグループのまとめたレポートについてで、「新型出生前診断が陽性でかつ出産可能だった人のうちおよそ98%が人工中絶を選んだ」というもの。
詳しくは、こちら
https://www3.nhk.or.jp/n…/html/20180319/k10011370421000.html

NIPTは従来の出生前診断よりも危険が少ない診断であるため、診断を受けやすくなってきています。その為、日本産婦人科学会が方針をかえれば、さらに多くの人が診断を受けるものと思われます。

つまりこの二つのニュースは、
「これまで以上に確実に、命の選別が行われるようになる。」
というニュースでなのです。

個々の苦しい決断をした妊婦さんや旦那さんについて、良いとか悪いとかをいうことは誰にも言えないし、決していうべきではありません。
それぞれの事情や判断基準のなかで決められたことを他人が口出しをすることはできません。

一方で、日本という国、社会としてこの問題にどう向き合うのかはとても重要なことであると考えます。

私の考えは、「選択できる権利や自由を与えることは、人を不幸にすることがままある。」というものです。
自由や権利の名のもとに、個人に判断を委ねることは国としてはとても危険だということです。

理由を述べます。

まず、この数字の見方ですが、障害を持つ妊婦の98%が赤ちゃんを中絶したということではないので注意が必要です。
5年間で5万人の出生前診断者を母数としていることを押さえておく必要がります。
年間の出生数は約100万人なので、出生前診断を受けた妊婦の割合がそもそも1%ほどということです。そして、診断を受けようという人は、もともと障害がある子供を育てることが困難であると考えている人が多いため、98%という数字になっているということです。

その上で、この1%が今後増えていき、かつ98%という割合は大きくは変わらないだろうということが今回のニュースのメッセージです。

本題に入ります。

経済活動が競争原理で成り立っている世界では、「効率的」であること「生産性が高いこと」、「他より秀でていること」は、とても重要な要件です。
だから我々は、懸命に競争に勝とうとし努力をします。
そして、そこに身体的に、能力的に劣る人が入ることを忌避します。

この環境自体は、どうしても変えることができないと思います。
経済的価値自体を否定することができないからです。

パラリンピックをみんなで応援しようといい、多様性を認め合おうと言っているのは、少しでも多様性を持たせようという、我々の良心や知性の賜物ですが、この経済的価値観を否定するものではありません。
どちらかというと、「一部分では、多様性を認めるから、本筋の経済的価値は第一義として残すよ。」というための理由付というかバランスのように私は受けとめています。

その様な社会において、選択できる自由のみを与えることは不幸を呼びます。

一つ目の理由は、社会が弱者を救う仕組みがまだまだ不十分だからです。
仮に生むという選択をした人を支えられる仕組みが十分で無い状態で、障害がある子供を産むという選択をすることは、とても残酷なことに思えます。

もう一つは、命とどのように向き合うのかという準備ができていない人に、命に関する選択をさせるという問題です。
多くの日本人は、生活の中で宗教をもちません。つまり、人はなぜ生まれ、生き、死んでいくのかという根源的な問題に対する経典や哲学が圧倒的にない環境で生きています。
また、精神的に自由になる為の教育(リベラルアーツ)も、不足しています。
従うべき経典もなく、一方で精神的にも、思考においても、自由でなく(何かに隷属している)状態において、人は人の生き死にに対して判断を行えるのでしょうか。

このような議論の際によく、「十分な情報を与えること、専門家によるインストラクションをすることでリスクを軽減する」というプランが語られますが、それでは片手落ちすぎです。
今の時代、情報はどこからでも手に入ります。出生前診断を受けるような方であれば、それこそ、ネットや専門家の話などから多くの情報を得ることができるでしょう。

しかし、大切なのは集めた材料をもとに、どのような基準・価値観・論理で結論を下すのかということです。
世間の常識とか、周りの声とか、その時の雰囲気とか、親戚の手前とか、そういったものではなく完全に精神的に自由な状態で判断ができるかということです。

精神的に自由になるための学問を「リベラルアーツ」と言います。

この下地が無く、つまり、精神に自由でない状態で、ひとの生き死にについて判断をすることは、どれほど大変なことでしょうか。
この状態が無く、中絶という判断を選ばざるをえなかった人は、その後の人生において、どれほど自分を責めるでしょうか。

人の生き死にの判断を個人に選択させることをするのであれば、(しかも若い夫婦にそのような厳しい判断をさせるのであれば)、その為の判断基準を与える心の教育や精神的に自由になる訓練が必須だと思うのです。

このようなことが何もなく、だただた、個人に選択権を与えることを良しとしていては、苦しむ人を増やすだけです。

最後に、ディベートは、精神的に自由になる為の(リベラルアーツの)非常に優れたトレーニングであることを申し添えておきます。

この問題、

皆さんは、どう思いますか


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