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2014.10.3.(金)
第14回 「ディベート的な思考方法~朝日新聞社の誤報問題~」(2014年10月3日)

ほぼ月イチコラム
時事問題がわかる BURNING MIND主席講師・井上晋の『賛否両論のための基礎知識』 第14回


朝日新聞社の誤報問題は、終息を見せることなく
問題が大きくなってきているようです。

今回は、個別論題ではなく、この問題から思考方法についてアプローチをしてみたいと思います。具体的には、朝日新聞に対しての考察ではなく、世間の反応についてです。

ディベートのルールその①は、「主張するものは証明せよ」です。
証明とは、理由と証拠による立証を意味します。
具体的には、
主張:「原発は、廃止すべきです」
理由:「なぜなら、処理不能な高濃度の核廃棄物が出るからです」
証拠:「○○新聞、2014年9月1日の記事によると、、、」
という形になります。

この例にもあるとおり、新聞記事というのは、ディベートにおいても貴重な証拠データとして扱われます。
もちろん、日常においても物事の判断の材料にされているはずです。

その背景にあるのは、「大新聞が間違ったことを掲載するはずがない。」というものです。
そもそも、活字になったものは、それだけで説得力が上がります。
かつて卒業論文を作成していたとき、手書きの文章をワープロ打ちにしたとたんに、信憑性が5割増しになったように思ったものです。
その活字の元が大新聞社であれば、判断を委ねてしまうのも無理からぬことです。

一方で、自分の祖父がかつて「新聞はウソばかり書いていた。あんなもんは信用するもんではない。」と口にしていたのを思い出します。
当時というのは戦前戦中のことですが、「新聞は正しいもの」という認識にドップリと浸かってきた自分には、不思議な話に聞こえていました。

さて、今の日本の新聞をはじめとする言論機関はどうなのでしょうか。冷静に見ると危うさを感じます。
その危うさを感じた一つの理由は、朝日の訂正記事が出たあとの、各媒体の徹底した朝日叩きです。一部の雑誌では、朝日新聞社社長を国会に証人喚問せよとの論調まで出たほどです。言論機関が自ら政治介入を求めるかのような意見で、あり得ません。

この非難一色な報道スタイルというのは、祖父の言っていた戦中の報道そのものなのではないでしょうか。
このスタイルのもとにあるのが、日本人の気質なのか、売れるための記事づくりという商業主義の限界なのか、日本人の民度なのか、、、。おそらく複合的なものなのだと思うのですが、根底にあるのは「白黒をはっきりつけることが良いこと」という思考にあるのではないでしょうか。

確かに、ディベートは1つのテーマの賛否を問いますが、それをそのまま白か黒かで現実世界に当てはめることを目指してはいません。
割り切れないことが多くあるのが現実の世の中で、その一つ一つに向き合っていく根気が必要です。
ネオ・ディベートを提唱する太田先生はこの「あえて灰色を選ぶこと」の重要性を説いています。玉虫色というと聞こえが悪いですが、世の中をより深くそして、現実に即してみていくには、ゼロサム思考は危険です。

昨今の報道を見ていても、根底には「灰色の思考を悪いもの」としている思考があるように思います。
割り切ったほうがすっきりするし、分かりやすいのだけど、割り切ることの危うさを知るべきと思います。
しっかりと、「ひとりディベート」をしたうえでの灰色の選択は、ありなのではないでしょうか。
今回の朝日の問題の背景には、ツイッターで自社の問題を問題であると訴えた多くの現場記者たちがいたことも事実です。

皆さんはどう思われますか?

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