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2015.11.24(火)
ひろ☆たかさわのディベートちょっといい話
第131回 「大相撲 北の湖理事長」(2015年11月24日)

週刊コラム 時事ネタをネオ・ディベートで紐解く
ひろ☆たかさわの ディベートちょっといい話  第131回
こんばんわ
大相撲の九州場所が終わると
いよいよ今年もあとわずかという気分にもなるわね。
その場所中に、北の湖理事長が
急逝された。享年62歳。
先日の阿藤快さんが
69歳で亡くなったのもおどろきだけど
あまりのも早い最期。
病気との闘いが続きながら、
前日まで理事長として国技館に姿をみせていたのだから
突然の訃報にただ言葉を失うばかり。
いまの白鵬中心のモンゴル時代からさかのぼり
貴乃花の時代、千代の富士の時代と
その時代をひっぱる力士がいて
その前が、北の湖の全盛期。1970年代後半の土俵をリードした。
優勝24回。その実績のすごさは
「一代年寄」という名跡が示す。
いままで大鵬・北の湖・貴乃花の三人しかいない。
(千代の富士は権利はあったが辞退)
自分が現役時代につかっていた四股名を
親方としても使える特権。
優勝回数20回以上、日本国籍を所有などの厳しい基準がある。
強いだけでなく、圧倒的に強かった。
1970年代後半は、ライバルだった輪島も徐々に勢いをなくし
独壇場となった。
北の湖がたまに敗れると、
館内がどよめき、しばらくおさまらない。
歴代横綱のなかでも圧倒的な「ヒール役」だった。
この「ヒール」って
プロレスで使う言葉みたいね。
アメリカプロレスなどでも
興業としてストーリーをつくり
反則や、凶器をつかった凶暴なヒール役レスラーを
「ベビーフェイス」と呼ばれる正統派レスラーがたたきのめす
こういう図式がなりたっていた。
エンターテインメント全体を作り出す構図よね。
日本の国技である相撲でも
そんなヒール役って必要なのかしら?
北の湖の場合、
そんな悪役を演ずるというよりも
ただ、弱さをみせずに
とくに見せ場をつくることもなく徹底的にたたきのめし、
その実績で角界を引っ張った。
同じ時期に横綱としてライバルだった輪島が
ヒーロー扱いされた訳でもないし
最後は孤独に闘っていたわ。
つまり、面白いとはいえない、
憎らしいほど強いいうのは、裏を返せばつまらない、
北の湖が負けた時だけが盛り上がるという図式。
振り返ると、それでも成り立っていたのは
大関以下の日本人力士の個性や人気があったからでしょう。
当時は、外国人力士がハワイ出身の高見山しかいなかったが
日本人同様の人気ものだったし、
二代目若乃花や先代の貴乃花
麒麟児や富士桜といった力士が土俵を盛り上げていた。
そんな北の湖だけど、
いま振り返ると、「人柄のひと」だと関係者が口をそろえる。
正義を貫き、
これだけの実績をのこすと天狗になりがちなところ
ファンや記者団の質問には丁寧にこたえ、
暴力事件や八百長問題で難題がふりかかる相撲界を
中心となってたてなおしたのは間違いない事実。
土俵の文化、品格を忠実に守り、
負けた相手への礼節も欠かさなかった。
あのふてぶてしい態度も、「演じていた」と語っているのを聞くと、
自分の役割をしっかり理解して愚直にこなしていたということかしら。
結果的に、相撲界の一時代を背負い
協会の立て直しにも尽力した北の湖の功績は計り知れない。
そんな人柄なのに
ヒールを貫きとおしたときの「自分の支え」ってなんだったんでしょう。
決して華々しいとはいえないし、
実績や地位は手に入れても、安らぎがあったとも思えないわ。
いろいろな記事をみても
あまり語られてないところだし、
本人は「横綱時代が一番つらかった」としか述べてないけど
からだに鞭をうって走り続けた62年間。
本当にお疲れ様でした。ご冥福をお祈りいたします。
それでは また
BY ひろ☆たかさわ

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